御館跡と高田城 [天地人ー上越]
春日山城から下りて上越市内で昼食後、近くの御館跡を見学いたしました。
御館は、小田原城主北条氏康に敗れ、謙信公を頼って越後に逃れた関東管領上杉憲政
のために謙信公が造営した館で謙信公の政庁としても使用されたといわれています。
謙信公没後、二人の養子景勝公と景虎公が跡目を争った「御館の乱」が起こりました。
御館跡の発掘調査では鉛の銃弾や武具や刀剣が見つかり、攻防の様子を伝えています。
次は高田城に行きます。
高田城は慶長19年(1614)、高田の菩提が原の地に徳川家康の6男松平忠輝の居城として
天下普請によって造られました。城地の縄張りと工事の総監督は伊達政宗が行いました。
天守閣はありませんが、上越市発足20周年事業として復興した三階櫓を見て妙高に向かいます。
2009-10-10 09:02
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0