浜宮 [西伊豆紀行]
磯料理「浜宮」は松崎海岸の松林の中にあり夕日の沈む光景を見ながら夕食を楽しめます。
刺身盛り合わせや煮魚焼き魚などをいただきましたが地魚を直接漁師から仕入れ主人が
調理しているので新鮮さは折り紙付きです。
我々8人が訪れると貸切にしていただきましたが予約が必要です。
大沢温泉かじかの湯 [西伊豆紀行]
露天風呂
夏みかん狩りの疲れを癒しに大沢温泉「かじかの湯」に行きました。
ここは道の駅花の三聖苑の中にある入浴施設でいつも行く山の家大沢山荘
の湯質と違って少しぬるぬる感がある良質の温泉です。からだを洗いたいなら
「かじかの湯」のほうが良いと思います。露天風呂は周りを囲ってあります。
夏みかん狩り [西伊豆紀行]
下大野にあるみかん山は持主の方が高齢であまり手入れをなさっていません。
高いところのみかんを採るには木に登ったり脚立を立てたり容易ではないのですが
今年は高枝切りにネットを取り付けた道具などを使ったらとっても便利でした。
おかげで軽トラにいっぱいいただいて帰りました。
I氏邸でバーベキュー [西伊豆紀行]
恒例の西伊豆での夏みかん狩にやってきました。今日から駿河湾の田子漁港が見渡せる
I邸に滞在し夏みかん狩や磯料理、温泉を楽しみます。
今日のバーベキューは来る途中沼津港の魚市場で仕入れた魚貝類がメインです。
いまブログを書いていて気が付いたのですが、久しぶりの旧友との再会などで夢中に
なっていたのでお料理の写真など肝心なときに写真を撮り忘れています。
今回の道中、不安いっぱいのスタートです。
明日から西伊豆へ [西伊豆紀行]
明日から3日ほど学生時代の同期の友人と西伊豆に行ってきます。
コメントをいただいてもお返事できません、お許しください。
西伊豆では友人のログハウスに滞在して夏みかん狩や温泉三昧にふけってこようと思っています。
今回は私が蕎麦打ちをして皆さんに味わっていただく計画です、でも人数が10名になりこれまでの
最高が6名ですからたいへんだと思います。又天麩羅も今回初めて自分で揚げるのでリハーサル
のつもりで先日揚げてみました。けっこうな作業量になりますね。
まあ、誰か手伝ってくれるでしょう。
マムシグサ [西伊豆紀行]
夏ミカン山でマムシグサ(蝮草)という珍しい野草を見つけました。マムシグサは関東以西
に分布し、湿った林内に生える多年草で、和名は偽茎のまだら模様から連想したものです。
花期は4~6月で夏ミカンの採れる頃に見られるのですね。
また、ここで見つけた暗紫色のものはムラサキマムシグサと云い、ほかに多摩丘陵に自生
している緑色のカントウマムシグサなどの種類があります。
大沢温泉 [西伊豆紀行]
恒例の夏ミカン狩りのあとは毎年松崎町大沢の大沢温泉の露天風呂に行きます。
大沢温泉は那賀川の支流池代川沿いにあります。大沢荘山の家の露天風呂は湯量が豊富で
少し熱めのお湯なのでよく温まります。開湯は300年前だそうです。
夏ミカン狩り [西伊豆紀行]
夏ミカン狩りの当日は初夏を思わせるような好天に恵まれ、C君、K君はじめ皆で木に
登ったり、夏ミカンで一杯の籠を担いで運んだりして、楽しいひとときを過ごしました。
今年は天候のせいか大きい果粒が少なかったですが、中粒のみかんも甘味があって
美味しくいただけます。
修禅寺 [西伊豆紀行]
修善寺町の中心にあり修善寺の地名の元になりました。
正しくは地名は修善寺、寺院は修禅寺と呼ぶのが正しいのです。
修禅寺は大同2年(807年)に空海が創建したと伝えられ、当初は真言宗に属していました。
当初は周辺の地名が桂谷であったことから、桂谷山寺と言われ「延喜式」には「伊豆禅院
一千束」と書かれるほどの寺院でした。
建長年間(1249~1255)に元の密偵と疑われて蘭渓道隆避難のため来住し、それに
伴って臨済宗に改宗されました。
その後、鎌倉時代初期に修禅寺の名称が定着し、寺領も修禅寺と呼ばれるようになりました。
また、源頼朝の弟の範頼とその息子で鎌倉2代将軍頼家がこの寺に幽閉され、その後
この地で殺害されたことで知られています。
また、室町後期に至り現在呼ばれているように寺名を修禅寺、地名を修善寺と区別するように
なりました。
温泉町の寺院らしく水のかわりにお湯で手を濯ぎます。