天地人ー上越 ブログトップ
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K宅のキッズ達 [天地人ー上越]

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上越市国府にあるK宅滞在最後の日(4月8日)、ようやく雪も止んで遠く妙高山も見えます。

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雪の消えた庭の枯葉の間からフキノトウが芽を出しています。

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Tちゃん、Rくんと庭の掃除をしたり、フキノトウを採ったりしたあと近くの五智公園
をウオーキングしました。

くわどり湯ったり村 [天地人ー上越]

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7日にはK氏邸がある国府から海沿いに谷浜まで走り少し山側にある「くわどり湯ったり村」
という温泉にまいりました。海沿いの道にはほとんど雪が見られませんでしたが谷浜から
山に向かって走り出すとどんどん雪が増えてゆきます。

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くわどり湯ったり村は浴室は撮れませんでしたが、雪景色を眺めながら入れる露天風呂もあり
源泉掛け流しの温泉は冷えた体を温めてくれました。

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帰り道、陽の沈む頃日本海の波も静か、青い空も見えてきました。明日は晴れそうです。

片瀬さんの蕎麦粉 [天地人ー上越]

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K家で蕎麦打ちをしました。10人前1kgの粉と約500gの冷水で打ちました。
茹でた蕎麦の写真は忙しくて撮れませんでしたが皆さんに喜んで召し上がっていただきました。
今日で上越滞在の日程を終え、これから再び池田町広津に向かいます。

La Pentolaccia [天地人ー上越]

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お昼、母を連れてラ、ペントラッチャに行きピッッアやパスタをいただきました。
とっても美味しくいただいていると100歳の母へバースデーケーキを出していただき
店員さんがハッピーバースデーを合唱してお祝いして下さいました。

上越に [天地人ー上越]

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安曇野、池田町広津から上越のK邸にやってきました。
庭に出てみると、ここも花盛りです、ブルーベリーも色付いてきたのでネット掛けのお手伝いを
してからゴ―ヤをあちこちに10本ばかり移植しました。

花ヶ崎さんの著書 [天地人ー上越]

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今回の魚沼、上越、妙高旅行の行程などを計画するときに、直江兼継続や上杉景勝の出生の地や
活躍した地域を知るうえで花ヶ崎盛明さんの著書がとっても役に立ちました。
まだ、半分くらいしか読んでいませんが、これから旅行を思い出しながらゆっくり読みたいと思います。

小布施、枡一酒造 [天地人ー上越]

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燕温泉を下山して、東京に向かう途中昼食のため小布施に立ち寄りました。
林檎畑の中を長野電鉄が走り、とってものどかな風景でした。

燕温泉 [天地人ー上越]

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上越旅行3日目、昨日までは天候に恵まれ雨が降りませんでしたが昨夜から降り始めました。
宿泊した宿の近くのいもり池から妙高山を見ると頂上に雲がかかっています。
私達R大スキー部が創部して初めて合宿した燕スキー場のI旅館に約50年ぶりに訪れました。
M先生にもお会いできて、当時の思い出を振り返りながら楽しいひとときを過ごしました。

苗名の滝と笹ヶ峰高原 [天地人ー上越]

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苗名の滝は赤倉、池の平から笹ヶ峰高原に上る途中にあります。滝の水は関川となり
越後平野の肥沃な大地を流れて直江津で日本海に注ぎます。
苗名の滝の対岸は信濃です、戦国時代は武田の領地です、笹ヶ峰に行くと紅葉が
始まっていました、南極で活躍された西堀栄三郎さんたちが京大の学生時代に
笹ヶ峰高原の京大ヒュッテで作詞した雪山讃歌の歌碑があります。

御館跡と高田城 [天地人ー上越]

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春日山城から下りて上越市内で昼食後、近くの御館跡を見学いたしました。
御館は、小田原城主北条氏康に敗れ、謙信公を頼って越後に逃れた関東管領上杉憲政
のために謙信公が造営した館で謙信公の政庁としても使用されたといわれています。
謙信公没後、二人の養子景勝公と景虎公が跡目を争った「御館の乱」が起こりました。
御館跡の発掘調査では鉛の銃弾や武具や刀剣が見つかり、攻防の様子を伝えています。
次は高田城に行きます。

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高田城は慶長19年(1614)、高田の菩提が原の地に徳川家康の6男松平忠輝の居城として
天下普請によって造られました。城地の縄張りと工事の総監督は伊達政宗が行いました。
天守閣はありませんが、上越市発足20周年事業として復興した三階櫓を見て妙高に向かいます。
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