天地人ー上越 ブログトップ
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春日山城と林泉寺 [天地人ー上越]

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今日は午前中春日山と林泉寺にまいります。春日山城は越後守護上杉氏が戦時のために
築いた城で、関東、信濃、北陸への往来が監視でき、守護所と連携して守っていました。
春日山城には石垣の代わりに、自然の起伏を利用した空堀、土塁などによって多くの郭を
守り、天守閣を持たず、周囲の山々に砦を築いて、より大きな城としての機能を持たせていました。
林泉寺は謙信公の祖父長尾能景が父の菩提を弔うために創建した長尾氏の菩提寺で謙信公
は7歳から14歳まで名僧天室光育のもと文武の修業を積みました。

星峠の棚田 [天地人ー上越]

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十日町松代、松之山地区から隣接する上越大島地区にかけては、日本棚田百景などに
選ばれています。訪れた時は棚田の稲が黄金色の穂をたわわに実らせていました。
私たちは星峠の403号線沿いに車を止めて写真を撮りましたが、鍋立山の中腹まで登れば
鳥瞰図のように撮れるのですが、今日はI君が稲穂を握っている写真を後に上越に向かいます。

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カール、ベンクスさんの家 [天地人ー上越]

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昼食後、六日町から253号線を十日町松代に向かって車を走らせます。
ほくほく線の松代駅を過ぎ池尻から室野へ403号線を走るとまもなく星峠にさしかかります。
棚田を観る前に、竹所集落にあるカール、ベンクスさんの再生した日本古民家を見学します。
ドイツ人建築デザイナー カール、ベンクスさんは、空手修行のためにやってきた日本で
住む人がなく崩壊してゆく古民家を見て古民家の再生を、ここ竹所を拠点に県内および県外で
取り組んでいます。
写真は上からカール、ベンクス邸、カール、ベンクス アソシエイト事務所、べんがらの家です。

魚沼産こしひかり定食 [天地人ー上越]

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雲洞庵で参拝を終え、歩いて5分の田圃の中に建っている鹿小屋という処で魚沼産こしひかり定食
をいただきました。昼食後、私たちはカール、ベンクスさんの日本再生古民家や星峠の棚田を観に
十日町市松代に向かいます。

雲洞庵 [天地人ー上越]

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雲洞庵の土踏んだか・・・・赤門から本堂に続く参道の石の裏に法華経を書いて埋めたという。
「天地人」の主人公、与六(のちの直江兼続)と喜平次(のちの上杉景勝)が少年期に学んだ
所です。

天地人ツアー出発 [天地人ー上越]

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旅行中張り切りすぎて、帰宅してから熱を出して寝込んでいましたが、いよいよ今日から
投稿を始めます。
集合は高田馬場、10人乗りのワゴン車で練馬ICから関越自動車道をひた走り、湯沢をすぎると
まもなく六日町ICです、少し街中を走り雲洞庵に到着しました。

天候は [天地人ー上越]

火打から妙高を望む.jpg火打から妙高を望む

明日から上越に行きます、旅行中は棚田、城址、そして妙高高原と全て屋外なので、
天候が心配です。天気予報では28日、29日は曇り時々雨です。

ラッピングトレイン [天地人ー上越]

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ほくほく線のホームページを見ていたら天地人のラッピングトレインが載っていました。
日曜日には雲洞庵や棚田を見学にほくほく線の沿線を訪れるので興味深く記事を読みました。

棚田の歴史 [天地人ー上越]

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NHKの大河ドラマ「天地人」のタイトルをよく見ていると上越など越後の風景に中に棚田
のシーンが出てきます、この棚田は松代の星峠から見た棚田だそうです。9月には友人達と
六日町、松代、松之山、上越、妙高を訪れるので、ぜひこの目で確認したいと思っています。
でも、そこでちょっと疑問が!星峠の棚田など、松代、松代の棚田はいつごろ造られたのか。
文献によると、日本各地の棚田は1000年前頃に作られたものや、福島棚田(飯山)は寛文元年
(1661)飯山藩より許可状が出され八年に入植、と記録がありますが、松代、松之山の棚田
はいつ頃つくられたのか、上杉謙信や景勝、直江兼続の時代に棚田が造られていたのか、
大変興味が出てきました。

親鸞上陸 [天地人ー上越]

安曇野、上越 077.jpg居多ヶ浜
安曇野、上越 076.jpg居多神社
専修念仏の弾圧による流罪で親鸞が直江津居多ヶ浜に辿り着いたのは承元元年(1207)、
謙信公が長尾為景の末子として生まれる享禄3年(1530)より300年以上前のことです。
当時の越後地方は騒乱が絶えず、阿賀北を本拠地とする城氏と他の豪族との争いや
源義経の奥州への逃避行など、国衛のあった頚城はその度に蹂躙されていたのでしょう。
むろん、越後だけでなく諸国が荒れていました、荒れたからこその専修念仏であり、
親鸞の追放であった。その親鸞が居多ヶ浜に足跡を刻んで、八百年の時が流れました。
親鸞は赦免後も二年越後にとどまり都合七年をこの地で過ごしました。
その後、常陸国(茨城県)で浄土真宗を興し布教活動に入ります。
*:居多神社宮司の花ヶ前盛明さんには「上杉謙信のすべて」、「上杉景勝のすべて」、
「直江兼継のすべて」、「直江兼続」など多くの著書があり、NHKの大河ドラマ「天地人」
でも花ヶ前さんの著書も資料として制作されているそうです。
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