宗吾霊堂 [県内の城跡、史跡など]
宗吾霊堂にお参りにゆきました。
鳴鐘山東勝寺宗吾霊堂は桓武天皇の時代、征夷大将軍坂上田村麻呂が房総を平定し、
戦没者供養のために建立されました。
徳川4代将軍家綱の時代に飢饉で苦しんでいる領民を救うため、将軍に直訴し、
その罪により磔刑に処された義民佐倉惣五郎の菩提寺であることから宗吾霊堂
と呼ばれるようになりました。
直訴の罪により磔刑された宗吾と、打首の惨刑に処せられた4人の子供達のお墓です。
佐倉領内389村の農民は宗吾の徳を忘れることなく、ひそやかにお参りを続けてきたといいます。
成田山公園 [県内の城跡、史跡など]
成田山大本道後方にある広さ165,000㎡の成田山公園、雪景色もいいものです。
龍智の池に浮かぶ浮御堂
蝋梅の蕾が膨らんでいます。
これは蝋梅ですが、紅梅と白梅は樹齢50年を越える古木があわせて460本が植えられており
まだ蕾も小さいですが、花弁が5枚あることから「梅花五福を開く」と云われています。
五福とは天寿を全うすること、徳を好むこと、無病なこと、財の豊かなこと、長寿のことだそうで
梅の花が咲き始める2月23日からは観梅のさまざまな催しが開催されます。
水琴窟
文殊に池に灌ぎ込む雄飛の滝
成田山新勝寺 [県内の城跡、史跡など]
総門をくぐると成田山新勝寺境内です。新勝寺は平将門の乱の際、朱雀天皇の密命により
寛朝大僧正が空海作の不動明王を奉じてを東国に下り平将門を調伏するため下総の国公津ヶ原
で不動護摩の儀を行った事に起源を発します。
仁王門1830建立、国の重要文化財です。(国重文)
仁王門の傍らにある池には亀の形の岩があり、小銭が投げ入れられています。
三重の塔、1712年建立。(国重文)
大本堂 仁王門をくぐり、石段を上りきった正面に建っています。本尊不動明王を安置。間口95,4m
奥行き59,9m棟高32,6m 1968年建立、(設計:吉田五十八)
2月3日の節分には賑やかになるでしょうね。
聖徳太子堂
平和大塔
光明堂 旧本堂 1701年建立 (国重文)
奥之院 成田山新勝寺の本尊である「不動明王」の本地仏「大日如来」が安置されています。
開山堂 既記の通り開山の祖、寛朝大僧正が祀られています。現在の建物は昭和13年に
再建されたものです。
額堂 どっしりとした入母屋造りの建物は1861年に建立されました。
額堂とは信徒から奉納された絵馬や額が掲げられている建物です。 (国重文)
広い境内に建っているお堂を見てまいりました、でも3日は節分会、にぎやかでしょうね。
今日はこれから成田山公園を見て帰ろうと思います。
節分会:今年も節分会の季節(3月3日)がやってきました。3日は大本堂の前はに賑やかに
なるでしょうね、毎年大相撲力士やNHK大河ドラマの出演者を招いて豆まきが行われますが
今年も、白鳳をはじめとする大相撲力士や大河ドラマ八重の桜に出演している綾瀬はるかさん
(新島八重役)も招ばれていて参加されるそうですが同じく大河ドラマに出演された平将門役
の俳優さんは例年辞退されるそうです。
成田山へ初詣 [県内の城跡、史跡など]
何年ぶりだろう?久しぶりに成田山に初詣にまいりました。JR成田駅、京成成田駅の駅前から
始まる成田山参道も懐かしいな。初詣客でいっぱいだ。
懐かしい店が並んでいる、こうやってゆっくり眺めていたり、写真を撮ったりしていたら
いつになったらたどり着けるだろう。
銀行も町並みの合わせてこんなデザインだ。
漬物屋さん、佃煮屋さんが多いね。佃煮の川魚は近くの印旛沼辺りで採れた雑魚が美味しいよ。
市の文化財に指定されている三階建ての旅館もあるよ。
竹細工の店もあります、風情がありますね。竹で作ったかごなんか使う機会も無いけど。
ようやく新勝寺の境内にある五重塔か大塔が見えてきたよ、もう少しだね。
ようやく参道は成田山新勝寺正面に2006年に竣工した総門の前にたどり着きました。
僕が前に来たときはまだ無かったから、ずいぶんご無沙汰していたんだなあ。
参拝の様子は次回に
臼井城跡散策 [県内の城跡、史跡など]
臼井田にある臼井城跡あたりを歩きました。臼井城は下総地方では有数の巨城で上杉謙信や
大田道潅などに攻められたことでもよく知られています。
本丸のあった1郭からは印旛沼を望むことができます。
本丸の虎口から二の丸を見たところです。空堀には土橋が架かっています。
臼井妙見社(星神社):臼井城築城の際、城の鬼門の方角に創建された神社、妙見とは
北斗七星を神格化したもので千葉氏にとってはその祖、平良文以来の守護神です。
上杉氏との抗争で、上杉氏の家臣大田道潅が千葉孝胤らの籠る臼井城を攻めたとき
討ち死にした道潅の弟大田図書(ずしょ)の墓が星神社の傍にあります。
江戸時代の名力士、雷電為ェ門は晩年妻八重の生地下総国臼井で暮らし、1825年4月9日
(旧暦2月21日)に死去します。59歳没、浄行寺に碑があります。
川村美術館庭園 [県内の城跡、史跡など]
昨日は晴天だったので川村美術館庭園の木陰を歩きました。
パンパスグラス(西洋ススキ)の穂が見えます。珍しい植物ですね。
土曜日だったので園内を歩いたり遊ぶ姿が見られました。
「ブロンズの形態」ヘンリー.ムーア
庭園でもこれらの作品を鑑賞することができます。
「無題」ジョエル.シャピロ
「リュネヴィル」フランク.ステラ
「緑」佐藤忠良
「朱甲面」清水久兵衛
いすみの金比羅さん [県内の城跡、史跡など]
勝浦海中公園からの帰り道、外房黒潮ライン(128)を走っていると満開の桜を見つけたので
ティーダを停めて立ち寄りました。山門も塀も無い簡素な社ですが金比羅の文字が見えたので、
帰宅してから調べてみるといすみ市の金比羅宮でした。
資料には香川県琴平町の総本山金刀比羅宮、福島県いわき市の金比羅神社と並んで
日本三大金比羅宮だそうです。長い石段も、参道の周りの土産物店もありませんが。
境内の今が満開の桜は河津桜で10年前に植えたのだそうです。
金比羅さんは海上の交通、猟師の安全の守護神とされています、きっと房総の猟師さんが
四国の金比羅さんに倣って建立したのでしょうね。帰路の交通安全を願ってひなちゃんと
家路につきました。
県立佐倉高校記念館 [県内の城跡、史跡など]
県立佐倉高校記念館は旧佐倉藩主堀田正倫の寄付によって明治43年に建築され、当初は
本館として使用されていました。塔やドーム屋根を持つ明治期の木造洋風建築物として貴重です。
現在は主として学校の管理棟として使用されている、国登録有形文化財です。
佐倉高校の著名な卒業生としては長嶋茂雄(読売ジャイアンツ終身名誉監督)、著名な元教員と
しては小出義雄(女子マラソン監督)等がおられます。
佐倉市の武家屋敷 [県内の城跡、史跡など]
先日佐倉市にある武家屋敷3棟を見に行ってきました。武家屋敷は同じ場所に並んで建てられて
います。江戸時代の弘化2年には存在していたらしく、城下町のおもかげと共に3棟の住居の
似通った間取りや生垣の作り方など企業の社宅を想わせる武士達の住居でした。
旧河原家と旧但馬家の間に「くらやみ坂」という坂があります。くらやみ坂というように
昼間もこの暗さですから夜は歩けるのでしょうか。
くらやみ坂を通りすこし歩いたところに痲賀多神社が鎮座しています。
「痲賀多神社」という神社は佐倉市に11社、成田市1社、酒々井2社、富里2社、八千代2社と
旧佐倉藩領内にだけ存在することから佐倉藩鎮守の神社だったと思われます。
痲賀多神社の境内の梅が咲き始めました、春ももう近くまで来ています。