青菅地区の史跡 [新川周辺の城跡、史跡]

佐倉市の青菅地区の史跡を訪ねます。青菅は井野、宮ノ台と新川の中間に位置して、独特の風習を残した地域です。今日はユーカリが丘の和洋女子大グラウンドから畑や小竹川を渡って行きます。
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畑の中を歩いていると、山林の中に右手に登る細い道があります、この道かなと見当をつけて狭くて昼なお暗い道を登ってゆくと途中に水で落ち葉や土が湿っているところがありました。
山を登りきったところに西行清水の看板が立っています。
小竹、井野を望む絶景に西行法師が「道の辺に清水流れる柳影しばしはここに杖とどめにけり」と詠んだと伝えられております。
市内には湧き水が五百七十カ所あり、加賀清水などが有名です。
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青菅小学校のプール側を通り青菅稲荷社の前を通りバス通りに出る、臼井方面に歩くと、左手に旧青菅分校が見えてきた。明治三十六年、志津北尋常小学校の青菅分校として設立、二つの教室と一つの教員室があります。五十二年に廃校になりました。
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青菅分校に来た道を少し戻ると右手にかやぶきの重厚な設楽家旧宅が見えます。東日本で最古の部類の民家だそうです、同家古文書によれば、慶安年間(1648~1651)に建てられ、戦前には土塁があったようで、帰農した武士の居館とも考えられ佐倉市の文化財に登録されています。
もと来た道を青菅稲荷社の前を通り戻ります。
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建立は元禄六年(1693)川口攝津守が妙見社と共に建立、千葉氏の星神社が合祀されています。

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