志津大口館 [新川周辺の城跡、史跡]

志津大口館は下志津の東邦大学病院の南方500mの台地にあります。
台地の端にある、春日神社と報恩寺の間の民家や報恩寺の西側の墓地や竹林になっている一帯が城跡と思われ、あちこちに土塁が見られます。
志津大口館は名前の由来もわかりません、中世の城館跡であることは間違いありませんが詳細な成立時期や城主はわかりません。
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報恩寺は山号を大雄山といい、臨済宗妙心寺派の寺であるが、志津次郎胤氏が開基と伝えられています。
報恩寺という名前は志津次郎胤氏の両親への報恩という意味のことで、寺紋は千葉一族の寺らしく九曜である。
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報恩寺や春日神社など周辺には樹齢600年の古木が沢山あり、志津城跡の上志津の天御中主神社の境内に残る古木と同じくらいの樹齢です。
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