親鸞上陸 [天地人ー上越]

安曇野、上越 077.jpg居多ヶ浜
安曇野、上越 076.jpg居多神社
専修念仏の弾圧による流罪で親鸞が直江津居多ヶ浜に辿り着いたのは承元元年(1207)、
謙信公が長尾為景の末子として生まれる享禄3年(1530)より300年以上前のことです。
当時の越後地方は騒乱が絶えず、阿賀北を本拠地とする城氏と他の豪族との争いや
源義経の奥州への逃避行など、国衛のあった頚城はその度に蹂躙されていたのでしょう。
むろん、越後だけでなく諸国が荒れていました、荒れたからこその専修念仏であり、
親鸞の追放であった。その親鸞が居多ヶ浜に足跡を刻んで、八百年の時が流れました。
親鸞は赦免後も二年越後にとどまり都合七年をこの地で過ごしました。
その後、常陸国(茨城県)で浄土真宗を興し布教活動に入ります。
*:居多神社宮司の花ヶ前盛明さんには「上杉謙信のすべて」、「上杉景勝のすべて」、
「直江兼継のすべて」、「直江兼続」など多くの著書があり、NHKの大河ドラマ「天地人」
でも花ヶ前さんの著書も資料として制作されているそうです。
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