上志津散策 [新川周辺の城跡、史跡]

志津地区では上座地区を歩きましたが、今日は上志津の志津城跡を中心に散策します。
「新川周辺の城跡、史跡」では新川を歩いていて、城橋傍にあった石碑に近くの米本城跡にまつわる記載が載っていたことから始まりました。
興味を持って歩きはじめると、吉橋城跡、先崎城跡、井野城跡、師戸城跡や、まだ訪れていない小竹城跡など多くの城跡が新川やその支流の小竹川、手繰川に沿ってあることがわかりました。
これらの新川周辺の城址は戦国時代は臼井城の支城で上杉謙信や配下の太田道灌に攻められ江戸時代になってほとんどが廃城になるまで栄枯盛衰の道を辿ってきました。
今日は、上志津地区にある志津城跡を中心に散策します。
志津駅南側の通称「水道道路」にあるホームセンターから志津駅前まで歩き、マツモトキヨシの前を右折します。400mほど行き右手に曲がる道を行くとテニスコートがありました。
テニスコートの隣の家の敷地の中に稲荷神社が見えるのは18代続く名家の豊田家で公選1号の知事が出ています。
豊田家を過ぎて四街道上志津線の舗装道路を越えると右手に保存樹のシイがそびえる天御中主神社(アメノミナカヌシ)にまいりました。
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ここの周囲が志津城跡で片隅に天御中主神社(もとは妙見神社だったそうですが)が祀られています。志津城の城主は志津次郎胤氏でした。
つぎに、近くの長屋門のある中村家を訪ねます。
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中村家は代々名を中村三郎兵衛と称し佐倉藩堀田家の家臣でこの地で道場を開いていたそうです。長屋門の建築年代は不明ですが母屋が文政元年(1818)の建築なので、おそらく同時期と考えられます。
近くにある市街地の調整池傍を通って西福寺に行きます。
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西福寺は真言宗豊山派で山号は清水山、三百数十年前に井野の名刹千手院の隠居寺として建てられました(現在は無住)。
寺の裏手に明治6年(1873)開校の井野小学校跡があり、現在はゲートボール場になっています。
志津城跡など 046.jpg
近くの南志津公園に行きます、この地域は新しい住宅地のなかに昔からのたたずまいを残す大きな屋敷などが点在していてウォーキングをしていてもやすらぐことが出来ます。
志津城跡など 048.jpg
南志津公園です、沢山の樹木があり、藤棚やトイレもあります。
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