結縁寺 [新川周辺の城跡、史跡]

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晴天山西光院結縁寺の開創は奈良朝の神亀年間、僧行基全国暦遊の際にこの里の小堂留鎮し、
天晴るる時白蓮井戸(花井戸)に影現するを観て、仏法東漸相の霊地となし、自ら阿弥陀尊の像を
謹刻し一寺を建立したと伝えられています。
結縁寺由来によると天慶年間、真言僧がこの寺で結縁灌頂を修したのが結縁寺の名起こりで、
六坊の成立を促し結縁寺の繁栄を確かなものにしていきました。
また、江戸時代には正保年間、江戸幕府キリシタン奉行井上筑後守がけ結縁寺の領主となり
頼政公供養のため、五輪塔を奉納したと記されています。
その後火災に遭い、元禄以後次第に荒廃しましたが、14世紀初頭に造られた国指定重要文化財
の銅造不動明王像が現存する建物と残っています。

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