頼政塚、入定塚 [新川周辺の城跡、史跡]

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結縁寺の近くにある頼政塚と入定塚について投稿いたします。
治承四年(1180)四月、頼政は後白河法皇の第三皇子の以仁王と平家打倒に挑みましたが
挙兵に失敗し宇治平等院の境内で自害したといわれています。
この頼政の首を埋めたのが頼政塚です。頼政は死に際して家臣に「我が首を持ち東国に行け、
我が止まらんと欲する処に行かば首が重くなって動かなくなる。そこに塚を築いて首を葬れ」
との伝説があります。頼政と以仁王の挙兵は失敗に終りましたが、その影響は大きく
以仁王の令旨を奉じた源頼朝や木曾義仲、甲斐源氏、近江源氏などが各地で蜂起し、
治承、寿永の乱の幕を明けることになります。
結縁寺の鎮守である熊野神社に登る石段の手前にあるのが頼政の遺徳を慕って伊勢の国から
訪れた女性が入定したと伝えられている入定塚です。
頼政の首を運んできた馬を葬った名馬塚も近くにあるのですが見つかりませんでした。
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